人の不幸は楽しい?のではなく、スッキリしたい。「ゲス」ですが何か?
こんにちは。
さて先日、何年かぶりに週刊文春を購入しました。
いわゆる「文春砲」を読むためですね、ズバリ。
ゲス不倫の時には購入せずWEBで斜め読んだだけなのに、なぜ今回はわざわざ購入までして読んだのかというと、やはり「人の不幸は蜜の味」だからでしょうか?
いえいえ、それだけではありません。私はスッキリしたかったのです。
4月末、某女優さんが一般人男性と結婚というニュースをテレビで見ましたが、その後、一般人男性がタダの一般人男性ではなく「もの凄い一般人男性」だった事を知りました。
「もの凄い」レベルがかなり凄くて、「やっぱりハイスペック美人はやることが違うな~」と感心したものです。
と同時に、なんでそんな「ハイスペック男子」が、まだ婚活市場に残っていたのか?という疑問を抱いたのも事実。
「なんで??」
世の中の疑問に、速攻で文春砲(新潮も)が答えてくれたわけで・・。
それを買って読んだわけで・・。
「なんで?」が「やっぱりな・・」に変わったわけで・・。
(※わけで・・は「北の国から」風に読んでね)
そうだよね~、そんな凄い一般人男性(もはや一般人ではないのでは?)が、普通に傷一つなく婚活市場に残ってるはずないよね~。そりゃそうだ。納得。
むしろ傷一つ(今回については、傷一つどころじゃないエライ事態のようだが)ない状態でこの世に存在していたとしたら、もはやツチノコ発見したレベルの衝撃かも!?
It’s a Miracle!!
某女優さんには大変申し訳ないが、祝福とともに抱いた「モヤっと感」を文春砲が吹き飛ばしてくれたのです、あー、スッキリした。
スッキリしたのと同時に、「この事態、今後どうする?」「知ってて結婚したんかい!?」って感じにゲスな興味を抱くのも、これ人なり。
そして、そんな美味しい話(上玉)世の中に転がってるはずないよね・・。と人の事だと冷静にジャッジ出来るのに、わが身となるとあっさり乗せられてしまうのも、これまた人なり。
自分の見たいモノだけを見て、心の中の警報を無視してしまう。
ここまでじゃなくても、なんか居心地悪いと感じたり、ちょっと不安だなと思ったりしつつ、とりあえず付き合うって事、女性なら経験あるのでは?
でも、自分に無理してまで結婚したい?
一緒にいてなんか「?」って思う相手と一緒にいる意味ってあるのかな?
結婚が目的になっちゃうのは違うと思うよね。
今回の件も本人がそれで良いなら良いし、他人がとやかく言うことじゃないけど、それで良いんかい?と聞いてみたいものだ。